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RMKV Real Listen Room
東京前衛作曲家協会

ドミトリー・ショスタコビッチ作曲
Dmitry Shostakovich(1906-1975 / モスクワ)

オラトリオ「森の歌」作品81
ORATORIO "SONG OF THE FORESTS"

演奏時間 約30分前後

 

確か一時は「ポスト・マーラー」としてもてはやされていたショスタコでしたが、どう考えてもマーラーのようなブームにまで盛り上がる作曲家とは考えられなかったのではないでしょうか。

だいいち、熱狂的なマーレリアン(マーラーの信奉者)はいたとしても、ショスタコにはそれほどまでに人を惹き付ける能力があるとも思えません。

プロコフィエフがハイドン趣味なのに対して、ショスタコの方はベートーベン指向が強いと言われることもあります。その根拠は哲学的な15曲の交響曲に由来しているのでしょう。

元来、ショスタコの名曲と言えば「革命」という愛称で親しまれてきた交響曲第5番であり、吹奏楽に人気の「祝典序曲」であり、最近では「チチンプイプイ」の交響曲第7番かも知れません。

何だかんだと言いながらも名曲として知られている作品の多いショスタコは、現代作曲家の中でも比較的に正統的な評価がされている人物だと思います。しかし私はここでもうひと押し、今回のテーマである「森の歌」を巨匠の代表作として推薦したいのです。

ショスタコの素顔

先程「哲学的」と言った巨匠の交響曲作品ですが、これはある意味で一種の「難解さ」を含めた意味を持っています。傾倒して聴くことができれば、それはかなりの説得力と満足感を与えてくれる音楽だと思います。が、そうでなればかなりの苦痛でもあるのです。

しかしショスタコは単なる「難解な」だけの作曲家ではなかったとも思います。そのことを私に強く印象付けたのが、オラトリオ「森の歌」でした。この曲は巨匠の数多い作品の中でも、最も聴きやすく分かりやすい作品だと思います。

ではなぜ「森の歌」は聴きやすいのか、その答えは意外と簡単です。つまり分かりやすい曲である必要があったのです。しかもほとんど命懸けの使命であり、もしも「森の歌」がもう少し難解であったら、ショスタコはこの時点で歴史から消えていた可能性さえあります。

このあたりは当時の歴史的な面白さに傾倒するので、興味のある方はお調べいただければかなり楽しめることと思います。

今回は演奏に焦点を絞ることにして、とりあえず代表的な録音をご紹介していくことにします。

終曲「栄光」で合唱と児童合唱による2重フーガが最高潮に達した付近。突然6本のトランペットと3本のトロンボーンが場外から加わり(まん中の2段)、主題を高らかに歌い上げるという感動的な場面。

場外の金管は、一般的には客席の後ろ、または2階席の最前列あたりに陣取ることが多いようです。ただし舞台裏ではないことに注意して下さい。ベートーベンの歌劇「フィデリォ」(または「レオノーレ」序曲第3番)をはじめ、舞台裏で金管が吹くパターンは無数にあります。

しかし場外(客席)と舞台裏とでは演奏効果はまったく違います。どれほど違うかは実際にお確かめいただくしかありませんが、今回のように場外(客席)で演奏する場合、演奏者がお客さんに見えるところに出現すること、そして非常に大きな音が出せることを考えると、音楽的な(例えば旋律や動機を際立たせたいなど)効果は絶大だと思います。

場外(客席)で金管が演奏するパターンとしては、マーラーの交響曲第8番やストラビンスキーのバレエ「火の鳥」(全曲)など、いずれもかなり華やかな効果を上げている作品が知られています。このように考えても、この「森の歌」という作品の(少なくとも表向きには)祝典的な性格と華麗さ、そして分りやすさを演出する意味でも、大変興味深い個所だと思います。

終曲の後半、テノールとバスの絡みのあとで合唱が盛り上がったところ。私が以前この曲を指揮した時、「riten」(リテヌート)の指示について説明すると、みんなに「こんなの見たことない」と言われました。そうですか、リテヌートくらい珍しくないですよね、。

ちなみにリテヌートは「rit」(リタルダンド/次第に遅くなる)と「tenuto」(テヌート/歌う)を合わせて1つの言葉にしたもので、演奏としてはritよりも急速にテンポを落として遅くするように演奏します。結果的には「Pesante」(ペザンテ/重く)と似たようになります。

それはともかく、このリテヌートの次の小節ではアンダンテとなり、合唱は全音符の後で8分音符でスパッと切れるように終わります。ここの切れ味の良さが演奏を左右するほどですが、どの録音でもこの部分ではかなり成功しているようです。

一番最後のところ。場外の金管が高らかにファンファーレを演奏し、最後はフェルマータで力強く終わります。ちなみにその最後の小節はfffですが、クレッシェンド(次第に強く)もついています。

まぁ、気持ちの問題と言ってしまえばそこまでですが、実際にここでクレッシェンドするというのは不可能か、それくらい難しいことですし、無理してやっても効果は出ないでしょう。

つまり無理にクレッシェンドすれば、フェルマータの長さが保てなくなって短く終わってしまいますし、それにクレッシェンドするためには最初に音量を下げておくか、一旦この小節に入ってから、金管などのクレッシェンド効果の高い楽器に音を下げさせ、そしてクレッシェンドさせるというあたりが常套手段です。

でも作曲家の立場からすれば、別にここでクレッシェンドしたいという訳ではなく、そういう気合いを入れて演奏してほしい、少なくともこの最後の音で(安心感から)力を抜かないでもらいたいという願いがあったのではないかと思います。

とは言っても譜面は譜面。作曲家がそう書いてしまった以上、演奏者としては何とか譜面のとおりに演奏したいと思うのが人情です。そこでそれぞれの指揮者たちがどんな風にこの大作に挑んでいるのか、注意深く聴いてみるのも楽しいことだと思います。

 


エフゲニー・スベトラノフ指揮 ソビエト国立響ほか/ビクター*推薦

以前はメロディアで出ていた78年のライブ録音です。マスレンニコフのテノール、ベデルニコフのバス、モスクワ放送合唱団のほか、モスクワ国立合唱学校の児童合唱団が出演しています。

ソビエトの重戦車と呼ばれたスベトラノフらしい演奏で、ほとんど予想どおりの快演です。やや難点もありますが、この演奏を推薦させていただきます。

難点というのは、とにかくアンサンブルがメチャクチャな点です。こういう演奏はロシア物でしか聴くことができないのですが、スタイル的には故バーンスタインやフルトベングラーなどを彷彿とさせるエネルギッシュなものです。

気になる音質も良好で、この曲の壮大な演奏効果も十分に楽しむことができています。特に合唱の音が近く録れているので、声楽曲らしい立体的な音色が生きています。

上の譜例は第5曲「スターリングラード市民の行進曲」の中盤付近。譜面ではホルンがffで力強く指示されているのですが(上の2段)、この部分を譜面どおりに演奏しているのは、私の知る限りこのスベトラノフ版だけです。

このホルンの名場面をはじめとしてぜひ強調しておきたい点が、非常に楽譜に忠実な演奏になっている点です。しかもかなり積極的な演奏なので、約30分の演奏時間が短く感じられるほどです。しかも聴き応えは抜群、弦、管、そして声楽趣味の方でも十分に満足していただけるでしょう。

ついでに難点をもう一つ上げるとすると、メロディアだから仕方ないとはいえ、古い録音の割にはカップリング曲がない点です。確か2千円のCDですから、できれば何かもう1曲くらい入れておいてもらいたい気もします。


エフゲニー・ムラビンスキー指揮 ソビエト国立響ほか/メロディア*推薦

確か49年のライブ録音です。キリチョフスキーのテノール、ペトロフのバス、アカデミー・ロシア共和国合唱団のほか、モスクワ国立合唱学校の児童合唱団が出演しています。ちなみにモノラル録音。

49年の録音ということは、この作品の初演時に録音されたものと推測されます。ちなみに当作品を初演したのは、ムラビンスキー以下この録音と同じメンバーです。

筆者が始めてこの録音を聴いた時の第一印象は、とにかく感激するほど楽譜に忠実な解釈であったことです。この驚きは今でも忘れられません。(初演時に聴いていた訳ではありません、ずーっと後です。)

ムラビンスキーはショスタコの作品の多く、ほとんどを初演している人ですが、これほどまでに読譜のできる指揮者は滅多にいないと思います。現代の若い指揮者の多くは、ただ棒を振り回すこととアンサンブルにだけ熱心ですが、このような緊密な作品を真面目に読譜して演奏する気力のある人は少ないように思います。

しかしショスタコの方は、死後に発表された自伝「証言」の中ではムラビンスキーを非難していました。「これまで彼(ムラビンスキー)は私の作品を最もよく理解してくれていると思っていた。〜中略〜しかし私はある時、彼と話している時に気付いてしまった。彼は私が信じていたようには、まったく私を理解していなかった」

この意味ありげな「証言」から推測するに、とりあえず複雑な事情もあるようですが、そのあたりに耳を傾けてみる聴き方もいいかも知れません。

とりあえず前述のスベトラノフに比べると、このムラビンスキー盤では、よりクールな作品分析が行われていると思います。忠実なテンポ感はもちろん、強弱や奏法、ショスタコの癖などをも見事に解析し、後のピェール・ブレーズでも聴いているような説得力を見せてくれます。

あなたがもしこの曲に傾倒されている方ならば、冒頭でバス(バリトン)が歌い出すところを聴くだけで身震いするほど感動することでしょう。この力強い響き、説得力のある演奏、そして何よりもこの作品をずーっと昔から知っていたかのような、実に確信に満ちた堂々とした演奏を聴かせてくれます。これが本当に初演時の録音なのかと思うくらいに、、。

ちなみにカップリングには、プロコフィエフの交響曲第6番も入っています。プロコの第6などは、よほどのファンでもない限りは聴く機会も少ない作品なので、レパートリーとしても困らない配慮かも知れません。


アレキサンドル・ユルロフ指揮 モスクワ・フィルほか/メロディア

イワノフスキーのテノール、ペロトフのバス、アカデミー・ロシア共和国合唱団のほか、モスクワ国立合唱学校の児童合唱団が出演しています。

おそらくこれも70年代の録音で、LP時代には当曲の代表的な録音、というよりはこのレコードしかありませんでした。

スベトラノフやムラビンスキーなどに比べると、かなり温厚な演奏に聞こえます。安定したテンポ感といい、厚みのある音作りといい、いかにも合唱曲らしい録音ではないでしょうか。

よくは知りませんが指揮のユルロフは声楽家らしく、アカデミー・ロシア共和国合唱団の指揮者だったと思います。この点からも、非常に合唱および声楽部分に比重の置かれた演奏だと思います。

録音は特に明るく、不思議な幸福感を伝えています。前出2者のような切迫した緊張感はまったく感じられず、楽天的な音楽として見事な完成度を見せています。


ウラディミール・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送響ほか/メロディア

マルティノフのテノール、ベルテルニコフのバス、アカデミー・ロシア共和国合唱団と同少女合唱団が出演しています。

最も新しい91年の録音。このCDが発売された時には多いに期待したのですが、聴いてみた時には複雑な印象を持ちました。

その理由は、何といっても解釈が変なことです。具体的にはまず第1にテンポ感がおかしい、続いて強弱も変です。各発想記号の解釈も独特で、何とも不思議な感じでした。

テンポがおかしいというのは、たとえば速くなる部分では逆に遅くなり、遅くなる部分では速くなる。強弱も同様で、フォルティッシモの部分では弱く聞こえ、その逆も聴かれました。

要するにあまのじゃくな解釈なのです。こういう演奏が単に指揮者の「個性」といえるのでしょうか。あまり非難したくないのですが、ちょっと作曲家をばかにしているような気もします。これではまるで喧嘩を売っているようなものではないでしょうか。

ちなみにフェドセーエフという人は、この90年頃の録音から似たような演奏が目立つようになってきました。後のフィンランディアを聴いた時にも同様の印象を受けましたし、とりあえず普通の指揮者ではなくなってしまったようです。

かつてモスクワ放送響との来日公演などでは、ストラビンスキーなどの(当時としては)変ったプログラムを積極的に取り入れ、多くのファンを魅了した指揮者だっただけに何か残念です。

釣り逃がした魚は大きいと言いますが、この録音で歌っている名歌手マルティノフのテノールは絶品といえる出来です。何とも残念。


ウラディミール・アシュケナージ指揮 ロイヤル・フィルほか/ロンドン

コトリャロフのテノール、ストロジェフのバス、ブライトンフェスティバル合唱団、ニューロンドン児童合唱団が出演しています。

これも91年の新しい録音。それだけではありません、何と旧ソビエト以外での唯一の録音です。したがって当然ですがメロディアの録音でもありません。

さてこの演奏、一言で表わせば実に壮大な演奏と言えるでしょう。もちろん録音のせいもありますが、全体的に自然の雄大さというか、空間的な広がりに大変こだわった演奏になっています。はっきり言って私にとっては期待外れでしたが。

演奏は好みですから何とも言えませんが、しかし遠近感が強すぎるせいか、それぞれの声部の動きが弱いですし、そもそも演奏に力強さが感じられません。しかも全体にテンポが遅すぎます。それだけに大変お上品な演奏で、ある意味でロシア的というよりも完全に英国風の紳士的な演奏になっています。

ただしさすがに録音はいい。目の覚めるような立体感の再現は、歴史的名演揃いの「森の歌」の中でも異質なほどの見事な録音です。そういう点では録音美人とでも言いましょうか。近年のアシュケナージを知るためにも興味深い一枚です。


ユーリ・テルミカノフ指揮 サンクト・ペテルブルク管弦楽団 / RCA

かつてのレニングラード・フィルのことです。突然出てきたこの注目版、テルミカノフはスベトラノフの伝統をある意味(?)で忠実に伝える中堅指揮者で、現代では最もカリスマ性のある指揮者の一人と言えます。

社会主義ソビエトの時代が終わり、もうこの曲も演奏されることはないんだろうなぁ、と一抹の寂しさを抱いていた私を含め多くの皆様にとって、この録音の登場は実に意味のあるものだと言えます。

ここで一つだけ言えることは、何がどうであれ、「いいものはいい」の一言です。別に「森の歌」はロシアが社会主義国だったから演奏され、愛されたいた訳ではありません。この曲は純粋に音楽的な意味で素晴らしいのです。主義や思想などはどうでもいい問題ですし、そんなことにこだわっていた人はもともといなかったのではないでしょうか。

その証拠に、ここでのテルミカノフは実に素直に、そして真に音楽的な意味での正直な演奏を聴かせてくれます。相変わらず演奏は荒削りで聴ける限界に挑戦していますが、それでも解釈は積極的にして妥当、切れ味もよく、何しろ迫力があります。

決してパーフェクトではありませんが、録音の良さも含めて現時点においては最も理想的なCDになっていると思います。

 


余談ですが、ショスタコの作品は難しいものと簡単なものとの差が大きい傾向にあると思います。これもベートーベンに似た特徴で、簡単と言っても限度はあるのですが、難しい場合にはほとんど弾けないくらいの水準です。

そして今回の「森の歌」は難しい方だと思います。とにかく完全に弾くことはできないくらいに迷惑な譜面になっていて、リタルダンドなどの指示も細かいし、アンサンブル的にもかなりの難物です。

しかしそれでも巨匠の交響曲作品などに比べると、やはり曲自体の分かりやすさがかなりの救いになっています。やや二重底的な内容の深さを持ってはいますが、演奏する分、そして聴くぶんには素直に感動させてくれる作品だと思います。


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